2012年
10月
05日
金
名城病院 腎透析科 医師
医療系バンド ハ―トフルホスピタル 代表
1993年 半田高校卒業
2000年 金沢医科大学 卒業
2007年7月「医療系バンド」として病院や
医療現場の出来事を歌った「経過良好」でデビュ―。
名古屋を中心に病院や老人保健施設での
慰問ボランティアコンサ―トを主な活動としている。
各種ライブイベントやメディアにも精力的に出演している。
メンバ―は全員医療関係者で構成されており、
CDの流通販売収益は全額臓器移植ネットワ―クや
骨髄移植推進財団に寄付している。
2008年には闘病中の夫を献身的に
看病介護する老夫婦を描いた、2ndCD「永い二人だから」が
反響を呼び、CW曲「あなたがいたから」が
TV番組のエンディングテ―マに採用される。
カラオケ(DAM)にも3曲配信されている。
最近では、厚労省や地方自治体主催の
医療福祉系イベントへも多数出演している。
普段なかなか伝える事が出来ない医療現場での
実際の出来事を通して、改めて感じて欲しい
「命の尊さ」や大切なヒトへの「愛情」を歌い続けている。
TV東京「ボランティア21」のエンディングテ―マ
H20年5月~10月
テレビ出演、ラジオ出演は多数ある
★闘病中の夫を献身的に看病する老夫婦を描いた
2ndCD 「永い二人だから」
★普段伝えられない医療現場からの感謝の想い
3rdCD 「ありがとう」
★乳癌撲滅への願いを込めた
4rtCD 「マンモグラフィ―」
★医療現場から届ける「生きていく」応援歌
5thCD 「明日へ」
2012年
9月
14日
金
NPO法人共働学舎 副理事長
「共働学舎」代表 宮嶋真一郎の長男です。
東京に生まれ、自由学園を卒業、
アメリカ、ウイスコンシン州立大学で酪農学などを学ぶ。
1978年より新得共働学舎を設立、現在に至る。
2012年
7月
13日
金
2012年
6月
24日
日
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常に前向き、どんな障害も乗り越える私に訪れた苦難の連続。必死な毎日を繰り返す中、ザ・リッツ・カールトン大阪で行われた「ホスピタリティ」を学ぶセミナーに、代理出席することに。このセミナーが思いがけず、私の人生にまばゆい光をもたらすこととなった。 ザ・リッツ・カールトンホテルとの出会いは、決して特別ではなかった。しかし、その後1年10ヶ月の間に、世界21カ国63のザ・リッツ・カールトンに宿泊してしまうほど、私にとって、特別な出会いとなっていく。 奇跡にも似たおもてなしの数々を体験し、いつしか、「この出会いと人々を幸せにする世界最高といわれるサービスの理由を、多くの方に伝えなければ」と思った私はこれを実現させ、出版・講演活動を展開。また、ホスピタリティを追求・研究し、自社の業績を大きく発展させる。 他方では、長年携わるファッション業界やフィットネス業界でのノウハウを活かした知識と見解 による、マナー術・着こなし術を伝授。 |
2012年
6月
24日
日
経歴
1954年 兵庫県神戸市生まれ
1976年 日本獣医畜産大学畜産学科卒業
北海道別海町にて実習
急性肝炎のため酪農を断念
1977年 日和産業 中央研究所上郡農場
1980年 印南養鶏農業協同組合
1985年 医療法人博愛会 広野高原病院 庶務主任
1988年 有限会社中礼内村酪農ヘルパー利用組合
1991年 中礼内村西戸蔦就農(37才)
家族とともに畑作農家離農跡にて新規就農
2000年 有限会社中礼内村レディースファーム設立
2008年 有限会社想いやりファームへ
「 日本で唯一、加熱をしないで飲める搾ったままの生乳を生産 」
理念
・人間の経済性・作業性・イメージを牛たちに押し付けない
・牛たちにとってのベストを牛の目線・牛の立場で追求し続ける
・牛の個性・牛のペースに合わせる
・それぞれの個性を把握できなくなる増頭はしない
・食べ物はすべて命であり、どんな命にも上下はない
・乳は母親の血液であり、母親の健康・環境がすべて乳に出る
・女性も生涯を欠ける職業として選択できる職場にする
・命を育む女性の視点、消費者としての女性の視点を大切にする
・牛も土も本来のありのままの姿に戻す努力を続ける
・無農薬・無肥料・無配合飼料
2012年
5月
08日
火
1952年 岐阜県生まれ
早稲田大学経済学部卒業
中部読売新聞社入社
中部支社社会部次長、経済部部長を経て
2006年から専門委員
「 尾張なごや傑物伝 宗春がいた、朝日文左衛門がいた 」
牛に乗った殿様・徳川宗春や御畳奉行、朝日文左衛門など
江戸時代の名古屋には魅力ある人物や出来事がたくさんある。
そんな、楽しいお話しを聞かせて頂きます。
2012年
3月
15日
木
1952年生まれ 東京農業大学大学院・農学博士
NPO法人 樹木環境ネットワーク協会理事長
国際協力事業団専門家として、パラグアイ国立農業試験場に派遣される 「長崎オランダ村、ハウステンボスの企画・建設・運営に関る
現在は森と地域と人づくりの活動を実践
「森聞き」
高校生100人が毎年、森・里山で働いている誇りと智惠に
満ちた名人たちを訪ね観察・レポートに纏める活動の
仕掛け人
明治に大活躍した、澁澤栄一の曾孫にあたる。
2012年
2月
22日
水
釈迦を師として生きること
昭和21年7月8日生まれ64才
北朝鮮で生まれ、生後八ヶ月でひきあげ、中学二年まで水俣市で育つ。
この間水俣病について考える。
高校生の頃より仏教にひかれ、
澤木興道老師にあこがれ、
駒沢大学仏教学部禅学科に入学する。
澤木老師が入学直前に亡くなられたので
正師を求め、全国を行脚する。
その後同大大学院修士課程に席を置く。
友人の祖父が葬儀が縁で、富国生命の社長と知り合い入社。
サラリーマンとなる。
縁あって、昭和49年結婚
人事部門を皮切りに、教育部門、営業部門を経験。
営業では、岐阜支社長を最初に千葉、京都を歴任。
本社に戻り三年目に辞職。
その間、妻四四才で他界。
下の子が高校を出るまでは会社を辞めないでという妻の遺言を守り、
大学合格の翌日に辞表を提出。
以降、お釈迦様にならい、
「旅が中心の生活」(※)をするよう心がける。
2012年
1月
25日
水
平成24年1月13日(金)
講師 石川 光男 先生
理学博士(専門:生物物理学)
国際基督教大学名誉教授
真生活産業塾 塾長
生命エネルギー研究所 顧問
2012年
1月
25日
水
昭和21年、北海道生まれ。國學院大學中退。
学生時代より日本の歴史および人物について研究を続け、
月刊『明日への選択』に「上杉鷹山」「二宮尊徳」「明治の御代を仰ぐ」
など歴史人物伝を連載するとともに、
全国各地で講演活動を行っている。
『歴史街道』(PHP)などへの寄稿のほか、
平成21年~22年、産経新聞紙上で「元気のでる歴史人物講座」を連載した。
現在、日本政策研究センター主任研究員。
2011年
8月
06日
土
太陽商事有限公司/董事長
香港和僑会/会長
1943年3月 三重県桑名市に生まれる
1967年 名鉄百貨店入社 (子供服、婦人服のバイヤー)
1984年 名古屋鉄道海外事業部出向
1999年 香港名鉄が香港撤退となりと同時に中国、日本の多くの人に支持され、
現地に太陽商事有限公司を設立する。
日本の中小企業の中国進出支援活動をする。
2005年 中小企業向け中国進出支援ウェブサイト
『JCDIRECT21.NET』を立ち上げ、